君の名は。

無職の日記

映画

人は死にたくなくてもいつか必ず死ぬ

生きるというのは、変化するということ。生きている限り生命体は変化を続け、1秒でさえ同じ状態を保つことは出来ない。

 

俺たちは、神様の作ったおもちゃなんだ。

人が時間を操ることは出来なくても、神様には出来る。そして神様はそれをしている。一番いいと思った瞬間は写真にして額に保管しているし、またあそこの場面が見たいと思ったら巻き戻してもう一度眺めている。

 

映画と同じ。何度巻き戻そうとも、映画は変化しない。同じシーンしか繰り返さない。

 

だから、人生につまらない瞬間などあっちゃいけない。駄作になりたくなければ。

 

過ぎる春

気づいたら、自分の身体が腐っていくのをぼーっと眺めている。

俺には何もできない。恵を請うことすらできないの。

ただこうやって、死んだふりをすることでしか、何かを手に入れられないの。

 

笑うくらいしか出来ることがないのに、一度だって笑わないのさ。

笑えよ。踊ることすら、出来ないんだから。せめて笑えばいいじゃないか。

死んだふりだけしてたら、いつか本当に死んでしまうというのに、一体どうやって報われようとしているのだろうか。俺はバカですらない。死んでいるのだから。

 

インターネット上にはたくさんの馬鹿がいる。それを笑うのが怖いよ。死んでいるのはどっちだって話だ。馬鹿を笑うことの、一体何が面白かったのか。俺は自我を持たない。既存の組織に共鳴しているだけ。俺はただの、ほんの小さなスピーカー。誰かが言った言葉を、蚊の鳴くような音量で復唱するだけの存在。

 

きらきらした人間は、夜空の星のように、無数にいる。俺は彼らのようになりたい。でも、俺がすることは、死んだふりして何かを待つことだけ。誰かが俺のところに、煌めく言葉を運んでくるのを、じっと待つ。満を持して、俺のところにそれが来た。俺はノミのように小さい自分のスピーカーから、その言葉を蚊の鳴くような音量で流す。

 

数年前の俺に、かける言葉がない。数年前の自分もはたまた、今の俺に話すことがない。お互い笑うこともできないまま、他人のスピーカーとしてそこに存在しているだけ。俺は生きてなんかいない。

 

 

もっと文字を打っていたいので、日記を書きます。

ズートピアを観ました。

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めちゃくちゃ面白かったです。

でも、何か真面目すぎじゃね? って思ったのは、俺がもう子供じゃないからだろうなー。よく考えたらディズニーの映画だったんで、真面目で当たり前ですね。

 

それと、昨日入社の面接に行ってきました。社長と色々話して、いつの間にか人生の話みたいなのになったんですが、

「うちで一番若い○○君は、22歳で妻と子供がいる。君と3歳しか変わらない」

って言われたのがとても腹立ってます。

なぜ彼らの土俵で比較したのでしょうか。そもそもいきなり知りもしない他人と比較されたことに、俺は戸惑いつつも、その感情を抑え込んでいたのですが。

まあ社長は「君の話が聞きたい」とも言ってくれ、それは嬉しかったので、それでチャラということで。

 

日記終わり

死にたい

バーチャルyoutuber

これ以上1人よがりの孤独生活を続けると自分の身体に殺されそうなので、とりあえず職安に行ってきた。2月に地元の就職面接会に行ったときに話した会社の人に職安から紹介してもらったので、今は会社の人から電話が来るのを待ってる状態。

それまでやることがない。

最近はyoutuberを観始めた。すっかり金儲けの場所になってしまったyoutubeの、金儲けのために作られたコンテンツを観るのは癪だと思ってあんま見なかったんだけど、ああいう動画は誰でも手軽に見れるように配慮して作られているので、ちょっと悔しいが暇つぶしには有効なのだ。

 

観ているのは、バーチャルyoutuberキズナ・アイという、二次元キャラのyoutuber。

youtu.be

モーションキャプチャで動く3Dモデルに、アニメのように声優の声が当てられてる。しかし台詞はほぼアドリブだと思うので、演じているという感じはそんなにない。

新しい試みだしキャラも可愛いので面白い。ただ、声を当てている人の名前は伏せないで欲しいと個人的には思う。俺も知りたいし、面白いことをしている人は色んな人に知られるべきと思う。もちろん本人が公表したくないのならこの限りじゃない。でも、やっぱり気になるなあ。

さらに欲を言えば、今のところ普通のyoutuberの真似事しかしてないので、バーチャルアイドルにしか出来ない動画を観てみたいです。

 

ちなみにニコニコ動画にも同じく美少女キャラを演じたゲーム実況動画があるんだけど、こっちも面白いです。お気に入りはPart2。

nico.ms

1人じゃ何もできない

痛みは自分にしか分からないが、喜びは相手に伝染する。

他人が痛みに悶えていてもこっちはどこも痛くならないが、他人が喜びにはしゃいでいるとこっちまで嬉しくなるし、羨ましくもなる。

だから、他人というのは、どんな痛みにも耐えられる素晴らしい存在のように見える。それはまるで、自分の目の前をひらひらと自由に飛んでいく妖精のよう。

 

俺だって、誰かといればその人の妖精になれる。だけど俺はここ何年かずっと1人で過ごした。1人で何か頑張ろうとしても、俺は誰の妖精にもなれないし、ただただ自分だけが苦しい思いをするだけ。だから俺は何もしなかった。

 

1人じゃ生きている意味がない。

思い出

2年前に書いた小説を久しぶりに読んだら、思ったより面白くて読んでしまった。書いた当時はつまらなさすぎて読む気が起きなかった。でも2年という歳月を経て完全に思い出になると、俺ってこんなこと書いてたんだなってニヤケながら楽しめた。普段あまり読書をしないド素人にしてはお世辞抜きに良く書けていた。しかし当時の俺ときたら、こんなのじゃダメだって、変に玄人を気取っていたから、書いてる間も楽しくなかったし推敲もほとんどしなかった。そして自分には才能がないと言って執筆をやめてしまった。今思えば何様だよと言いたい。

 

有り触れたものに対して喜ぶのは恥とされ、人々の垢のついていない洗練されたものを目指す風潮があるように見えるのは俺の気のせいではないはず。俺はその風潮にまんまと侵され、潔癖な人間になってしまった。クソみたいな小説を書く自分が嫌になったし、小説以外でもそうだった。ビデオゲームを除いては。

家庭内でビデオゲームをやるのは俺だけだった。つまりゲームの世界は俺が独り占めできていたわけだ。だからゲームに関しては俺はどこまでも自由に羽を伸ばすことが出来た。

 

恥を晒す人間は蔑まれ、立場が弱くなる。だから人は恥をさらすことを恐れる。しかし恥ずかしいことには力が眠っていて、恥にまみれてでも手を伸ばせば、その力を獲得することができる。

恐怖にも程度があって、丸腰で突っ込んでも死なずに済むレベルの恐怖だって存在する。ドラゴンクエストの最初の敵がスライムなの、実は物凄い優しい世界だったりする。

 

ニーアオートマタはハードモードでやったら最初のセーブポイントまで行くのに5時間くらいリタイアしまくったから、それと比べればとても分かりやすいと思います。俺が下手なだけなのか。。。

 

腹が痛いと絶望してパニックになる

前もこのことは記事にしたけど、今日またそれが起きた。

多分直接的な原因は、普段の生活習慣が乱れていることと、今日昼めしを食べすぎたことだと思う。昼飯はハンバーガーとコンビニ弁当とファミチキを食った。自分でも馬鹿だと思う。半分やけになりながら食ってた。

 

もちろん体調が悪くなり、トイレへ行ったが腹痛は治まらない。そして俺はいきなりパニックになった(マジでいきなりだな)。生きるのが辛すぎるのか、いつか訪れる死が怖くなったのか分からないけど、ものすごい恐怖だった。とりあえず1回尻を拭いてトイレを出て、親父が家にいたので腹痛を報告しようとした。目眩がして、ふらふらしたり床を這ったりしながら進んだ。とにかくパニックだから誰かに寄り添ってもらいたいという気持ちがあった。しかし親父と話しても気持ちが落ち着かず、腹痛も相変わらずだったので再びトイレへ行った。俺はトイレから母親を呼んだ。母親はトイレの前まで来てくれて、ふらふらで全身ががしびれてる俺を心配してくれた。でも俺はまだパニックだったから、母親を抱き寄せた。そしたら気持ちが次第に治まっていったので、俺はもっと近くに来てと頼んだ。他人の肌に触れれば触れるほど気持ちが落ち着いていった。

俺は気持ちが落ち着いてくると、大声で泣いてしまった。何か胸の内にあるものを全部吐き出すような勢いで泣いた。役者の演技よりすごかったと思う。母親は「しっかりしりん、トイレで泣いとってもあれだで居間のソファまで行こ」と言った。母親としては「しっかりしろ」が慰めてるつもりなんだろうけど、普通に考えてそれは慰めじゃない。俺は優しい言葉で、許すような態度で慰めてほしくて、「そうじゃなくて、もっと優しいこと言って。慰めるようなこと言って」と言ったら、母親は頭をなでてくれた。しばらく撫でてもらって、ほぼ完全に気持ちが落ち着いたら、「もういいわ」と俺は言った。母が「ずっとズボン下げとると痔になるで、とりあえずトイレ出りん」って言ったけど俺は何もしたくなかったから「いつか自分で行くわ」と言った。それからまたトイレで一人で泣いた。

 

自分でも何がしたいのかよくわからない。何でここ1年くらい、腹痛になるとパニックになるんだろう。マジで生き地獄だから最悪なんだけど……

親離れが出来てないんだろうか。だったら何をすれば自立できるのか。もっと自分のことを肯定してもらえばいいのかな。俺は他人に認められたい欲求が多い人間だし。

死ぬ

俺はすごい人に憧れている節がある。15分でも日本中もしくは世界中で有名になりたい。Wikipediaに記事を書かれたい。

19歳にもなってこれほど漠然とした夢を見ているのはバカとしか言いようがないし、間違いなく人に尊敬はされない。その代わり反面教師になれる。幼稚園児が卒園式で発表するのと同レベルの妄想をいつまでしていても、何も成し遂げることなどできないと、子供たちは俺から学ぶことが可能。まあ、俺を見なくてもどこでも学べるかもしれん。

別に、人生には何かを成し遂げなければならないというルールはない。しかし代わり映えしない退屈な日常を何日も、何か月も過ごしていれば、知らない世界の景色をぼんやりと想像して、自分がそんな世界に居ればなあと溜息をついてしまう。

 

朝の5時だから、外で鳥が可愛い声で鳴いてる。それだけで俺の欲求は満たされる。そんな人生でいい。すごい人は人生のどこかで突然すごい人になったんだ。なろうと思ってなれるもんじゃない。諦めよう。持ち物を全部捨てて、最高に身軽になって走りたい。しかし浮世でそんなことをすれば死ぬ。だから人は常に何かを背負って生きている。その中からいらないものを見極めて、1個ずつ道端に捨てたい。

 

最大限身軽になって、それでもどこへも行きたくならなかったら、鳥の鳴き声だけ聞いて生きよう。