留置場

普通の日記

サキュバス

俺は他人のツイッターをずんずん遡って1つずつツイートを読むのが好きで、気づいたら1時間を超えていることもある。読む人は大体好きな有名人とかだけど、おすすめのユーザーに出てくる全く知らない人のツイートも面白くて読んでしまう。

 

界隈で成果を出して名を馳せている人のツイッターを読んでると、人間ってここまでやっても死なないんだ、と思う。俺は今までの19年間保身だけをして生きて来たし、俺の人生はただ色んなものにビビってただけの人生だったっててことを気づかされる。

 

「楽しいこと」の正体とは自分の身体をえぐられる快感のことで、楽しいことと苦しいことも元はと言えばどちらも身体に刻み込まれた傷なわけだから、保身ばかりしてると楽しいことさえも遠ざけてしまうことになる。俺たち人間は命を摩耗することでしか何かを感じ取ることができない存在なのだ。宝石や彫刻だって、元の姿をがつがつとナイフで削ぎ落されて出来上がるもの。

 

俺はもう何もかもが、楽しいことさえもが怖いんだろうな。それか楽しいことは破滅の瞬間にしか味わえないものだと思い込んでいる。サキュバスっていう、夢の中に超絶美女の姿で現れて、セックスをして男の精液を魂がなくなるほど吸い尽くしてしまう悪魔がいるんだけど、俺はそれが大好きだ。俺が何かの誘惑に駆られてここから1歩でも動いてしまえば、次の瞬間にはそいつに身体を引き裂かれてしまうだろうって思うと、そういうのはもう少し後でいいから今はまだ勘弁願いたいなと思う。

 

多分、俺は現在、自分が生まれた意味を知ることを最優先事項に生きている。

実はそれが本当に身近にあるってことは、もう分かって居る。けど、確かめるのが怖いんだ。確かめようとして、そいつが「意味なんてないよ」って言ったら、俺は闇よりも深い絶望へ真っ逆さまに突き落とされる。

 

俺は一番身近なものに触れるのが一番怖い。

いつか止む音楽

 私の家は貧乏だから、ペットは高くて買えなかった。本当は犬が飼いたかったんだけど、私はまだ子供でお金を稼げないし、仕方なく諦めていた。

 だがある日のこと、ついに私はうちでも買えるほど値段の安いペットを見つけることができた。値札に書いてある金額は、なんと4000円! それも、大好きなミニチュアダックスフンド

 ペットがこんな値段で売っているなんて信じられないけど、ミニチュアダックスの中でも特に小さなわんちゃんだから安いのかな、と当時は思っていた。

 お母さんはこんなに安くてもお金が惜しいようで、ウンウン悩んでいたけど、懸命におねだりしたら、流石に買ってくれた。

 お母さんが店員さんに「どうしてこんなに安いんですか?」と聞いたら、店員さんは「寿命が1年しかない犬なんです」と答えた。私は値段の理由に納得したけど、ペットが本当に喉から手が出るほど欲しかったし、1年もあるなら十分! なんて思うほどだった。

 私が考えた名前は「ダッシュ」。急ぎ足で遊ばないと1年があっという間にすぎてしまう気がしたから。私はダッシュが本当に大好きだったし、事実ダッシュとわたしは誰よりも仲良しのペットと飼い主だった。毎日がこれまでの2倍、いや10倍華やかなものになって、私は1日も欠かさず笑っていた。

 最初は檻に入れて飼っていて、私がダッシュと一緒に寝たいってお母さんに言ったら、1回だけ許してくれた。だけどダッシュが家の中で凄く利口にしているので、私がもう一度ダッシュを檻に戻さなくても、お母さんもお父さんも注意しなかった。

 ダッシュは名前の通り走るのが大好きだった。だから私は人生で初めて田舎に住んでいてよかったと思った。当時私とダッシュがそこら中を縦横無尽に走り回っていたのは、近所に住んでいる誰もが知っている。私はそれまで走ることが特別好きではなかったけど、ダッシュと同じく大好きになった。

 走るのが好きと言っても、ただ適当に走り回っていたわけじゃない。色んなところへ探検へ行ったのだ。ダッシュと居ると、1人では怖くて行けなかったところでもずんずん行けてしまった。新しい道や建物を発見したし、以前は不気味で近寄ろうとしなかった小屋へ入ってみたりもした。まあ、中には特に何もなかったから、あれだけ不気味がってたのが馬鹿らしくなったけど。

 

 ダッシュと出会った日から1年後、本当にダッシュは死んだ。ダッシュは最後まで元気一杯で、突然何の前触れもなくあの世へ行った。私は散々泣いた。でも少しずつ弱っていく死に方だったらもっと悲しかったと思う。苦しそうなダッシュの姿を見るのが一番辛いだろうから。この時ほど、お母さんが私とダッシュの写真を一杯撮ってくれたことが嬉しかった時はない。

 1年後に私は2匹目のペットを買ってもらった。私がちゃんと自分でペットの世話をしたから信用がついたのと、ダッシュがいた頃よりも私が少し元気をなくしていたからだ。次は普通の値段の、何年も寿命がある普通のペットにした。というか、ダッシュみたいなペットはもう二度と見つけることはできなかったけど。

 しかし、そのペットも2年ほどで病気で死んでしまった。普通の値段で買ったのに! って冗談は絶対に思い浮かばないくらい悲しんだし、今度のは病気にかかっている間中ずっとぐったりと横になっていて、時々苦しそうにクゥンと鳴くから、私はどこも痛くないはずなのに心臓が締め付けられているようだった。2匹目のペットが死んだのは、中学校の入学式の直前だった。私は大きな不安を抱えながら入学式へ臨むこととなった。

 

 幸い中学校では良い友達と巡り合え、ペットを失った傷は癒えていった。

 たまに私は「またペットが欲しいなあ」と友達にこぼす。それを聞いた友達に「前のペットのこともう忘れちゃったの?」とか「あんたすぐ浮気しそう」と言われたことがある。でも私はそんなことはこれまでの人生で1秒すら考えたことはない。ペットと過ごした時間はいつだって楽しかったし、それはペットも同じだろう。誰かが不幸になる余地はどこにもなく、そんな心配をしている内にも私の命は着実に死へと進み続けている。

(画像付き版)吸い込まれるように遊んだゲーム

うろおぼえかつ大雑把だけど、一応時系列順(俺が遊んだ順)。

画像は適当にググったやつ。

 

スーパーマリオサンシャイン 5歳

GCソフト。最初に触ったゲームかつ最も好きなゲームの1つ

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どれだけ人のせいにしても自分の時間だけが減っていくのうける

俺はたださみしいだけなんだよ。

礼儀

俺は人並みに上手く人間関係を築けずに生きて来たが、礼節を持って人と交流してこなかったからじゃないかと思った。

多分、礼儀をしらなかったわけじゃない。礼儀が嫌いだったんだと思う。礼儀を守るために自分の欲求を犠牲にしなくちゃいけない気がして。

礼儀が大嫌いだから、それの存在しない生き方を求めた。礼儀がなくても分かり合える奴こそが本当に最高な仲間だと考えていた。しかしそのせいで俺は人間関係で色々失敗しているし、日ごろから相手に敬意を払って過ごしていれば普通の人よりもコミュニケーションが下手くそにならなかったように思える。

 

礼儀が大事ってのは、馬鹿で息が臭い大人があーしろこーしろ若者に指図するやつではなくて、もっと崇高な、宗教のようなものだと思う。各々がそれを意識することが大事。科学みたいに法則があるわけではないから、自分で流儀を考えその全責任を自らが背負うというか。

 

まあしかし、礼儀のないコミュニケーションってのも、別に悪いものではなかった。義務教育時代にしか成り立たないかもしれんが。友人関係の同性とセックスみたいな会話をしてた気がする。それは礼節の欠片もないものだけど、礼儀をガン無視するっていう一つの一貫した意志は、ある意味確立した流儀と言えなくもない。もう一度繰り返したいとは思わんが。

 

俺には人付き合いの練習が必要だと思う。基本一人が好きなのと、礼儀がなってなくても一緒にいてくれる友達がいたから、今まで全然気にしたことがなかった。

最近は友達が欲しいと思うことが稀にある。

プリングルス

これ考えた奴は天才すぎるから人間から神へ昇華するべきだと思ったことがある食べ物

・かつおぶし

・焼き肉のたれ

・味噌汁

・納豆

プリングルス

・パスタ

・うどん

・カレーライス

カップヌードルシーフード

・焼きそばと牛丼に乗せる紅ショウガ

・柿の種

・数の子

・鯖の缶詰

・炭酸飲料

・お雑煮

他人は

俺は、もうじき死ぬんだろうと思って毎日生きている。

他の人は、何を思って生きてるんだろう。

恋人がいる人とか、子供がほしいと思ってる人とか、出世したいと思ってる人とか。いつ死ぬか分からないのによくそんなことができると思う。それでも生きたいと思えるきっかけがあったんだろうか。

 

俺はブログでちょっと長めの記事を書くのさえ、無理だ。

一つのことに数行しか使えない。だからどの記事も詩みたいになる。

ほら、この話題で話すことももう尽きた。

 

俺は本当に、思っていたよりも、生きることに無関心というか、執着がないというか、生きることに頭を使わないのかもしれない。この記事を書いている途中に思った。

何をしても展望がない。得意なことは何もない。1000時間以上遊んだゲームもそんなに上手くならなかった。絵描きに憧れるけど絵を描かない、金が欲しくても働かない、面倒くさいからいいやとすぐ思う。友達と話したいこともない。やりたいと思ったことほど実行に移さない。どうでもいいことの方が優先順位が高い。

 

死の恐怖から逃れているだけ。生きていても何もしないなら死んでいるのと同じだ。

 

世の中にはどうでもいいことばかり。大切にできるものが何もない。