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君の名は。

無職の日記

いじめ

弱者が強者を強く意識することはあっても、強者が弱者を意識することはほとんどない。それどころか強者は普段から自分のことを強者だとは思ってないし、反対に弱者は普段から自分は強者だと念じて心を落ち着かせようとする。マヌケなやつほど無駄に自信を持ってて無鉄砲なのは、常にそのことで頭がいっぱいだから。

人間の世界だってやっぱり弱肉強食の世界。弱者はその場で殺されることはなくても、長期的に考えてみるといつの間にか居場所を奪われている。

 

俺は子供のときにいじめられていたから分かるけど、いじめられるほど弱い奴はいじめられることでしかコミュニティの属し方を知らないから、弱者であることを簡単に捨てようとは思わない。死に切らないか、出しゃばりすぎないかのギリギリの境目をキープする以外に生き方を知らない。

 

いじめの被害者は必ず弱者であり、弱者を排除することはどう考えても得しかない。だからいじめはなくならないし、いじめっ子は先生に注意されても納得することができない。大人からしたらいじめなんてしょうもないものって理解できるけど、子供は学校生活を本気で生きているから、そこら辺妥協せず徹底する。

だって、弱者を出しゃばらせておくとろくなことがない。弱者が力を持つとどうなるかは、大友克洋AKIRAを見れば誰でも理解できる。それを阻止するためにいじめが機能する場合もある。それ以外のいじめは、弱者によるいじめである。弱者でも群れを成せばある程度の力は得られるので、それっぽっちの力で大喜びするような、劣等感にまみれた弱者が、自分を慰めるためだけのいじめを引き起こす。元から楽園なんてないのに、破壊だけを繰り返す。

 

ちなみに前の記事で俺は他人のツイッター読むのが大好きって書いたけど、ネットのない時代なら強者にならないと他人の話すら聞けなかったのがネットつなぐだけで弱者でもその人の思考や意見が知れるんだからいい時代だなあと思います。