留置場

普通の日記

アイワナビーナルシスト

一時期、腹が痛くなると死の恐怖が襲ってくることがあった。

腹が痛くなってトイレに籠ると、「俺このまま死ぬんじゃないか」って気持ちがどんどん強くなっていって、それに比例して腹の痛みも増していく。痛みが精神と連動してる感じだった。

 

「死の恐怖と腹痛が連動してるなら、気持ちの方をまず和らげよう」

という解決策を思いつき、それを実行して、親父を呼んだ。親父が来ると、安心感から腹痛が少し収まった。だから親父が「病院行くか?」と聞いてきたときに俺は「行かんでいい」と言ってしまった。

そうすると、親父は部屋に戻っていく。俺はまた孤独感が沸き上がり、再び腹痛が激しくなる。なのでまた親父を呼んだ。次こそは「病院へ行く」と行った。「そばにおって」とは流石に言えなかった。

 

確かそれから、親父が病院へ電話しにリビングへ戻ったのだが、当然その間俺はトイレで独りぼっちなので、また激痛に襲われていた。「親父はまた来てくれる、親父はまた来てくれる」と自分に念じながら待った。多分現実では数十秒もしくは数分しか経ってないだろうが、独りの時間が5秒でもあれば腹の痛みは激痛になった。

病院へ行くまでの車の中ではまだ痛かったが、病院について順番を待っているうちに痛みは治まった。

 

 

この「トイレで死を想像して悶える」現象は、自動車教習所でもあった。

 

もちろん、こっちではトイレから大声で助けを呼べる相手はいない。

痛みを必死に耐えるのだが、なんだかこの腹痛が死ぬまで一生続くように思えて、俺の人生はトイレの中で悶えるだけ悶えて、そこで終わるような気がした。少しでも身体を動かしたら痛みに耐えるためのエネルギーを余分に消費してしまう気がしたので、じっとしていた。身体を動かすのが怖いとさえ思った。

 

しばらく悶えて、このままでは埒が明かないと流石に思い、とりあえずケツをふこうとした。このときはケツをふくだけなのにすごい大変だったし、怖かった。ふいてもどうせまた出すだろうと思うと、無謀な行為に思えた。

それでもなんとかケツをふいて、立ち上がって震える手でズボンを履いて、それからはなるべく何も考えないようにした。ドアを開けて、手を洗って、濡れた手は適当にズボンに拭って、学校の友達がいるところまで歩いた。その間視界が真っ白でほぼ何も見えなかったので、元いた場所に戻ると隣の席の友達の顔を、顔を近づけてよく確認した。

そのとき友達に「顔白っ」と言われた。2人いて、2人ともに言われたので、信憑性があった。どんな顔だったか気になったのは、気持ちが落ち着いてからだった。

知っている人間と交流出来た安心感で、腹痛はみるみる治まった。真っ白の視界がじわじわと元に戻っていった。

 

 

これは去年のちょうど今頃あたりの話。最近は死を異常に恐れることはないし、あれほどの腹痛も起こらない。できればもう二度とごめんだが、俺はいつか確実に死ぬし、その時は多分あれを凌ぐ恐怖が襲ってくるんだろうな。

 

だから自殺は難しい。