留置場

無職の日記

来来来世の人間を探す神みたいな人

他人を見下す行為ほど「楽しい」からかけ離れたことはないと思う。

ましてや楽しいことをしている最中の人間を見下す場合はほぼ確実にこっちの負けだ。

楽しいことをしているということは、人間の最高峰の状態で、他人を見下すのに躍起になっている人間は間違いなく充実した時間を過ごしていない。

大抵、他人を見下しているのは自分ではなく理想の自分。本当の自分はそいつと同じ場所に立っている。

 

一緒に居たい人間に大きく後れをとっていると嫉妬する。

前を走っているなら立ち止まって待てばいい。後ろを走っていると、他人という存在が自分の意志の影響外にあるという現実を知る。

小学生のときかけっこでビリだったこと。

保育園に入るよりも前、乳製品アレルギーの俺は牛乳は酒と同じで大人にならないと飲めないものだと思っていたが、保育園に入ったら他の子どもたちがみんな牛乳を飲んでいたこと。

俺は自分は誰よりも弱い人間なんだと解釈した。だから自分よりも弱い人間を見つけたら見下す癖がついた。誰に見下されたわけでもないのに。

 

又吉の火花を読んで、自分を模倣して生きているヤツという文に目が留まった。理想の自分をイメージし、それを模倣して生きている人間がいるらしい。それは個性じゃない、模倣だとか言ってた気がする。確かにと思った。俺もそんな生き方をしている気がした。そして模倣しきれないと自己嫌悪をする。

 

ちなみに火花はつまらないからなかなか読み進まない。