留置場

無職の日記

まだ19なのに

音ゲーが全然できない。

腕が落ちている気がする。最近は何も新しい発見や成長がない気がする。上手くいかないことが連続する。

やってて楽しいことが減っている。昔楽しかったこと、半年くらい前まで楽しめていたものが楽しくなくなっている。楽しくないから、興味が薄れ、やる気も沸かず、どんどんできなくなっていく。

 

もうそこに何もないように見えるのは、俺が鈍感で馬鹿だからなのか、それとも、それが俺にまだ発見されていない部分を中々見せてくれないからなのか。後者だったら俺は孤独だ。俺のアプローチが足りないのだろうか。情熱が足りないのだろうか。全力で向き合っていたつもりなんだが。

 

理想が高すぎるんだろうか。現実を見れば、相手はちゃんと俺に向き合い続けてくれてるんだろうか。

そこらへん不器用だ。

 

 

フィクションというのは所詮空想にすぎず、くだらいものと思っていたが、案外そうじゃないかもしれない。不確定の未来を空想する行為を、人間は日常的に行っているからだ。

例えば家の廊下の角を曲がるとき、その先の景色を想像する。

玉ねぎに包丁を入れるときはスパッと切れるのを想像し、肉を切るときはふにゃりと分裂するのを想像する。

友人と遊ぶ予定を決めると、遊んでいる情景を想像する。

これらの想像、予測は当たる確率が非常に高いのでフィクションではないような気がするが、1秒先の未来すら分からないのが現実だ。

小学生が「俺予言できるよ。2秒後に俺は右手をあげます」と言って、右手を上げる動作に入った瞬間にスナイパーライフルで撃たれ腕がちぎれた場合、小学生が右手を上げるという限りなくノンフィクションに近かった物語はフィクションになる。

 

こう考えるとありえないことを空想する行為は全然くだらないものではなく、むしろ人間の原始的な娯楽のひとつだと気づいた。「あったらいいな」を想像する楽しみは誰しもが理解しているはずだ。

子供がスポーツ選手だとか女優だとかに憧れるのはよくあることだ(最近ならYouTuber)。大人になれば自分の両親がやっていた些細なことが本当は大変なことだと知り、距離の近いものに憧れるようになるが、それでも夢を見ていることに変わりはない。

 

誰しもが歌を歌い、一部の人間がそれを極めて歌手になるように、誰しもが空想し、一部の人間がそれを極めて作家になる。

 

 

最初の話に戻るが、俺が焦りすぎていただけかもしれない。背伸びして身の丈に合わない大きな報酬を期待してしまっただけかもしれない。音ゲーを再開しよう。