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君の名は。

無職の日記

今日はFPSの調子が悪いのでブログを書く

楽な仕事について大好きなゲームを可能な限りたくさん遊ぶ。

中学生の頃にこんな人生設計をしていたのが懐かしい。もちろん漠然と考えていただけで、具体的な計画をしていたわけではないが。

 

大人になる前にゲームに飽きてしまったので、この計画は根っこから崩壊した。ゲームの代わりになるものを未だ見つけられていず、それからは人生について考えてばかりいた。

「人生とは何か」を見つめれば見つめるほど人生はつまらなくなる。楽しい人生にするには人生以外のものを見つめなければならない。

 

人は本当の自分を見つめることは出来ない。鏡に映っているのは自分じゃなくて、自分に吸着している別の物体。生きている最中に身体に次々へばりついてった、自分以外の何か。だから自分をどれだけ見つめても自分以外の存在が見えるだけで「自分って何?」に対する答えは永遠に出てこない。

 

その謎を解くためには、自分のコンパスが指し示す方向へ歩き続けるしかない。だが俺のコンパスには上から色々落書きがしてあって、中身の針が見えなくなってしまった。俺はどれだけ歩き続けても誇りを持てずにいる。針が指している方へ進めていないから。

 

魔女が現れなくてもいいから、シンデレラになりたい。

ヴィクトリア

目の前には常に良いものと悪いものが両方存在していて、どちらへ寄り添うかは自分で決めなくちゃならないって今更気づいた。

手近にあるものはなんでも触れていいわけではなくて、光に触れれば自らも光になり、闇に触れれば闇に食われる。

 

でも黒いものでも大切な、自分にとっては一期一会の存在だから、一緒にいたいわけです。

だから触れることはできないけど、連れて行くことは出来るんです。

私はオリヴィアを置いていったりはしないよ。

他人の道楽を餌とし明日も生きる

やりたいことを我慢してるのは他人のために生きてるからだし、

自分以外の人間に憎しみを抱くことが多いのも他人のために生きてるからだし、

そうやって生きないと俺は独りぼっちになるから他人のために生きる。

 

こんな妄言叩いてる暇があるなら何かしろよって思うけど、妄想だって何か理由があるから妄想するし、俺はそれを信じて生きていきたい……

 

ああ、やっぱり信じないで生きようかな。

他人の奴隷になって、孤独を忘れることだけに努めて生きようかな。

 

大人は死んだも同然って前の記事で書いたけど、なんだかんだ子供の延長の命なわけで、うかつなことは出来ないんだな。

 

明日もこんな女子みたいなこと考えながら生きる。まんこがほしい。

シャトル

「あー、あー、聞こえますか?

 テステース、マイクテース、聞こえますかー?

 応答願いまーす。どうぞー。

 えー、これを聞いてる人へー、メッセージ。

 うんこ! うんこを食べましょう。ふふっ。

 うんこは大変健康に良いのです。2010年代の人たちは知らないでしょうが。

 100年後の世界ではうんこは健康食として普及してますよ。時空法第123条に背いて、 私が教えてあげます。

 

 ああ、あともう一つ良いことを教えてあげます。

 あなたたちが今ハマってるスマートフォンですが、100年後は多くの人間の敵になってますよ。一般庶民は常にスマートフォンに監視されて生きている状態です。24時間、365日、スマートフォンの奴隷です。スマートフォンが指示した通りに労働し、スマートフォンの計画したスケジュールによって生活させられています。

 スマートフォンを手放すと、終身刑になっちゃうんですよ。

 あなた方にとっては魔法のアイテムのようですね。私にはそんな風には到底思えませんよ。

 これは私からのお願いなんですけど、スマートフォンを持っていたら壊してくれませんか? これが普及してなんかいなければ、こんな世界にはならなかったと思うので。想像してみてください。その大好きなスマートフォンに服従させられて生きるのなんて、イヤじゃないですか? 私らには人権なんてあってないようなものですよ。

 頼みましたよ。私が重大な犯罪を犯してまで、あなた方に伝えたことですので。

 

 あ、最初のうんこが健康食ってのは嘘です! ごめんなさい!

 でもスマートフォンの話は大マジなので、本当にお願いしますよ。

 それでは、健闘を祈ります」

大人

闇から生まれ、いずれ闇へと還るのが命。

命が宿っているというのは異常な状態だが、でも生きることには何の価値もなくて、だから生に価値を見出そうとするのは無謀というか死の恐怖に対する気休めにしかならない。

 

俺たちは死ねば無に戻るわけだが、だから生きてる今のうちにできることはやっとこうと思うのは、愚か者の中でもさらに頭の悪い部類。無になるのだから、集めたものは何一つ持ち帰ることはできない。

 

生きることというのは、触れたものに対して感想を抱くだけのこと。暑い日は「あついなー」だし、飯食ったら「うめー」もしくは「まずい」、怪我をしたら「いてー」。

 

この体験、つまり生の喜びというのは、子供のうちに全種類コンプリート出来てしまうのだ。だから大人の人生は何か物足りなさがある。それ以後にやることとなると、他の人類と交流することと、「どこまで行けるかな」と言って知らない場所へとことこと歩いていくことくらいだが、これによって生の喜びを思い出すことはあっても、新たに感じることはない。

 

大人になるのは、もう死んだも同然だと思う。「生きる喜びを味わう」ために生きることは二度とないだろう。

もっと確実な言い方をすると、幼少期に勝る喜びが再び訪れることは、もうない。

大人になってからすることは、子供の頃に自分が体験したことが一体どんなことなのか、あの時自分の身に何が起こったのかを客観的視点から調べること、ただそれだけ。

 

だから、生きる意味を追い求める必要は、もうないんだ。

まあ、別に惜しくはない。あの頃を懐かしみ焦がれるのはむしろ野暮で、それは自分が生きたことを否定することになるからかもしれない。

 

タイムリープの能力を手にした少女がおかした過ちだ。

猿になる

悩むってのは結局ゴールのない言葉遊びなわけで、たくさん悩んだからって何かが成長することはない。

どれだけ知的に振舞おうとしても所詮は動物、うんこしたり、飯をくちゃくちゃ食ったり、発情したりする。

 

幼い頃は周りの視線など気にせず遊べたが、いつの間にか動物的に活動することに恥じらいを持ち始めていた。

空想の世界では完璧超人になれるからずっと空想世界にトリップしていたが、やっぱり現実世界で生きたいって少しは思う。そのためには自分が汚い動物な事実を受け入れなきゃいけない。

 

猿になりたい。

願わくば、少し賢い猿に。

奇跡

恥ずかしさに脅迫された人間の人生の虚しさたるや。

 

どこへ行こうとしても、ちっぽけな羞恥心に鋭い刃をグサリと突き刺し、お前はここから先へ踏み込むべき人間じゃねえ、と迫る悪魔が付きまとう。

「あそこにいる人間たちを見ろ、あんなに楽しそうに騒いでいる。お前にあれができるか? できないだろう。

自分の顔を鏡で見てみろ。しけた面してやがる。お前の顔は、あいつらとは違う、そんなことはその表情を見比べれば一発で分かるだろう?

そんなつまらなそうな顔で、あそこへ混じっちゃいけねえ。楽園を穢しちゃいけねえ。お前だって、つまらない顔した新入りが入ってきたら憎いだろ?」

 

悪魔は俺が方角を変えて数センチ歩き出そうとすれば、また俺の前に立ちはだかる。

ダイヤモンドパールのなぞのばしょで歩数カウントを間違えた人間の如く、どこへ向いても壁だらけの世界。

 

そんなのは単なる妄想、考えすぎ。馬鹿らしいじゃないか、ただちょっと恥ずかしがり屋なだけだ。大丈夫大丈夫。

そう自分に言い聞かせても、俺は楽園へ踏み入ることはできない。悪魔の言った言葉が脳裏にへばりついている。俺が入ったら、楽園を壊しちゃうんじゃないか? そうしたら俺は悪魔になってしまう。

悪魔になるのは嫌だ。俺は人間だ。人間でいたい。

俺が人間でいるためには、一歩も動いてはいけないんだ。一歩でも動いたら最後、楽園で遊んでいる憧れの人間という生き物には、二度と戻れない。

 

だから奇跡を待つしかない。

天使が舞い降りる日が来るのを。