君の名は。

無職の日記

恥ずかしいこと

昔からそうだが、俺は自分がやりたいと思ったことをやるのがとても恥ずかしい。前の記事で書いた、アニメを観ることもそれに当てはまる。

 

この悩みは家に引きこもってこそこそと生活していれば忘れられること。だが、この漫画を見つけたせいで、悩みがちょっとぶり返した。

omocoro.jp

俺が社会に出ず引きこもっている理由が、漫画になっていた。

まさにこの通りの性格をしている。ここまで正確に指摘されると一周回って恥ずかしさを感じない。むしろ感動した。

漫画の最後にも書いてあるが、この人は単行本を出している。

衝動的に買った。予想していたより短かったが、面白かった。おすすめ。

 

「生きる意味は問うものではなく、人生から問われるものだ」

うろおぼえだが、こんな言葉を名言を集めたサイトみたいなので見た。

恥ずかしがり屋は、この問に答えるのも億劫だ。

笑われるにきまってるって思う。

俺は生まれたくて生まれたんじゃないんだから、生きる意味くらい初めから用意しといてくれよ。

らき☆すたをポケモンと同じ眼差しでみてた

「電車内でJKがダベるだけのヤツ。」という、電車登校中の女子高生の日常会話のみで展開する4コマ漫画が、webで連載している。

seiga.nicovideo.jp

読みやすくて、話数がとても多いので(といっても1話4コマだが)、たまに思い出しては一気見する。気軽に読むと面白いんで、おすすめです。

 

 さて、さっきの4コマで、こんなシーンがある。

seiga.nicovideo.jp

 女の子の片方が、らきすたの会話が現実世界で再現されたことに、めちゃめちゃ興奮している。

 

これは、すごい分かる。

らきすたって、萌えキャラデザインの女子高生等による日常ゆるゆるコメディなはずなのに、俺はものすごい熱中して見ていた。それこそ、「電車内でJKがダベるだけのヤツ。」と同種のお話なのだが。だけど電車内で~を見るときより全然わくわくするし、興奮する。

 

なんとなく理由は分かる。

俺がオタク的なアニメを観始めたのが小学6年くらい。

PSPでアニメを無料ダウンロード出来るサイトがあって、友達がそれを俺に教えてしまったので、まんまとハマってしまった(友達は銀魂だけ観てた)。

アニメにハマる以前の俺は、萌えアニメはよくないものだと思っていた。リビングで親の前で見てたら怒られると思った。だから余計に興味を持ってしまった。いけないものほどそそられる。

らきすたをいつ頃観たかは覚えてないが、俺の中でアニメがピークの頃に観たと思う。

 

世間一般から萌えアニメがどういう風に見られてるかよく知らないが、最近は進撃の巨人とかけいおんとか新海誠があって、どんどんメジャーなコンテンツになってる気がする。今でも「学校でアニメ見てるってバレるとやばい」って思ってる子供たちはいるのだろうか。

 俺はノートにハルヒを模写したのをクラスメイトにバラされて、「ええ・・・」って感想が返ってきた記憶がある。バラされたのは焦ったが、絵に関してはそこそこ上手く描けてたからあんまり恥ずかしくなかった。

 

小さい頃に熱中したもの。

ポケモン、マリオ、戦隊もの、仮面ライダージブリ、ディズニー。

らきすたはその中に入る。

なんかアホらしいけど。

アクションゲーム

久々にゲームが楽しい。

去年と一昨年にハマったオンライン対戦ゲームを久しぶりにやってみたら、ゲームをやってる時の「楽しい」って感覚を思い出した気がした。

 

アクションゲームとRPGで、得られる快楽の種類は結構違う。

RPGは「何かを得るため、成し遂げるため」に理論的に考えて行動する。これはリアルの人生設計と似てるし、実際同じことをやってると思う。

アクションゲームはただ楽しいからやる。スポーツと似てる。遊び以外の何物でもない感じ。

 

久しぶりに触ってみて楽しいのはRPGよりもやはりアクションゲーム。

アクションゲームはRPGと違って新しい発見を自分から探しに行かないといけないので、ある程度やり込むとその発見の数が減り、楽しくなくなっていく。だから期間を置いてからやると、何もかもが新鮮に感じられ、楽しむことができる。気持ちをリセットする、といえばわかりやすい。

 

この時間が永遠に続けばいいのに。

星新一

この前久々に星新一を読んだらすごい面白くて、あまり読書をしない俺にしては読みふけった。

 

とくに「ようこそ地球さん」というショートショート集のラストを飾る「殉教」がサイコーだった。

 

あらすじを説明すると、大勢の人が死ぬ話。

でも、科学の犯した過ちで人類が滅ぶとかの、暗い話ではない。

一人一人が、死ぬことに希望を抱いて、自ら望んで死ぬ話なのだ。

 

どういうことかというと、とある研究者が、あの世に旅立った人、つまり死者と会話できる機械を作った。そしてあの世の人々はみな口をそろえて「ここは本当に素晴らしい場所だ。必死こいて生きていたのがバカバカしい」と言った。

 

5年前に死んだ妻と通信して自殺した研究者本人を筆頭に、人々は自分の信頼できる人(死んだ親類、親友など)と通信し、霊界がどれだけ素敵な場所かを聞き、それを信じて自殺する。

やがて安楽死の薬が配られたりして、機械は大ブームとなり世界中を移動する。そして次々と街から人を消していく。こういう話。

 

この本は数年前に買ったやつだが、最後まで読まなかったらしい。この話はつい先日初めて読んだ。ケタケタ笑いながら読んでいた。小説を読んで声に出して笑うことはあんまりない。

 

俺は辛いことを我慢してれば幸せになれると信じてるやつが好きじゃないので、そういう連中が「死ねば幸せになれる!」って次々死んでいくのは最高だった。おすすめです、星新一

 

あと、この話はもう少し続きがある。生き残っている人間がわずかにいたのだ。死んだ身内と通信しても死を選ばなかった者や、機械の存在を知りながらも触れてみようと思わなかった者。その人たちが、山脈のように続く死体の群れを、ブルドーザーで片づけていく。

やる気をおくれよ

何もやる気でない。

最近はゲームやってる最中もやる気がまったくわかない。

やる気がないままやるから、一向に楽しくならない。

誰か俺にやる気をおくれよーーー

田んぼ

ないものを探すというのは本当に難しいことだと思う。

出先で落とした所持品を自宅で必死こいて探している時に希望は見えない。見えてたとしても例外なく気のせい。

 

中学生のころ、担任の教師に「生きる意味を答えられたら今後宿題を提出しなくていい」と言われた。

俺は優等生のふりして全然宿題をやってこなかったので、個人的に呼び出され、こう言われた。結局この問題には答えられなかったのだが、俺はそれからも宿題をやらなかったので今思えば同じことだ。

 

今更気づいたことだが、生きる意味というのはもともと存在するものじゃない。探しても見つからないんである。だから作るしかないわけだが、当時の俺は作るという発想に至らなかった。探して探して見つからなかったので、「わからねえ」ってなって諦めた。割と早い段階に。うちに帰ってゲームが遊べれば、他のことはどうでもよくなる人間だったので。

 

ただ、「生きた意味」なら分かる。こっちは作ろうと思っても作れない。作ろうと思って作ると嘘が出来上がる可能性の方が高い。探せば見つかるはずのものなのだ。といっても、中学生の俺にとっては同じくらい難しい問題かもしれない。

 

まあ、現在の俺も「そのとき俺がそう思ったから」以外の回答は持ち合わせていないが。

天才ブロガー

生きてるってことは少しずつ死んでいってるということだが、そんな実感はない。

永遠に生きられる気がする。不老不死とか簡単じゃね、と言っちゃう勢い。

だって死って知識としてしか知らない。小学生の頃に中学の自分を想像できなかったし、今だって老いた自分を想像できない。身内の葬式に行ったこともないし。

 

このまま死にたいかと問われたら答えられない。なぜなら永遠に生きられると思ってるから。思いつく課題はないが、かといって達成した課題もない。やったこともやりたいこともないのだ。

生まれた家が平和すぎたせいだと思う。ウェルズのタイムマシンの地上人と同じだ。完全平和の世界の生き物は、成長することができない。自分が何もしなくてもすべてが上手くいく世界だから当然だ。俺はそのシェルターに隔離されて生きてきたから、欲も力も得ることがなかった。

 

なんかここまで書くと流石に盛ってる気がしてきた。一応小中高と学校生活を送ってきたんだ。

憂鬱な思考をするようになったのは高校に入学してからだった。

それが未だ治らない。

退屈だ。

働かない蟻は普段何をしてるんだよ。