留置場

普通の日記

スリルを求めて

ふと、刺激的なことがしたいと思った。

思案の結果、DMMで買ったエロ同人音声を車で流すというアイディアが出た。

思いついたときはニヤケが止まらなかった。スリル満点で刺激的なアイディアだと思った。もし誰かにエロ音声を聞かれてしまったら絶対面白い。

 

しかし、その興奮は数十分で冷めた。

途端に面白いと感じなくなった。一応、パソコンにある音源をCDに焼いていつでも実践できるようにしたが、その作業も淡々と行った。ワクワクなんて感情は皆無。

 

丁度その日のうちに車で出かける予定があったので、実践してみたが、結局刺激的な瞬間が訪れることはなかった。

というか、車でエロ同人を聴くのは普通に楽しかった。新しい鑑賞方法を発見してしまったのだ。

ただ、運転に集中できなくなる可能性があるので、もうやらないと思う。何かに集中している間に強制的にエロい音声を聞かされる、というのが快感だったのだ。

法的にもやばそう。と思ったが、適当にググってもそれらしいものはヒットしなかった。世の中まだまだ自由だ。これを取り締まる法律は一生出来なくていい。

来来来世の人間を探す神みたいな人

他人を見下す行為ほど「楽しい」からかけ離れたことはないと思う。

ましてや楽しいことをしている最中の人間を見下す場合はほぼ確実にこっちの負けだ。

楽しいことをしているということは、人間の最高峰の状態で、他人を見下すのに躍起になっている人間は間違いなく充実した時間を過ごしていない。

大抵、他人を見下しているのは自分ではなく理想の自分。本当の自分はそいつと同じ場所に立っている。

 

一緒に居たい人間に大きく後れをとっていると嫉妬する。

前を走っているなら立ち止まって待てばいい。後ろを走っていると、他人という存在が自分の意志の影響外にあるという現実を知る。

小学生のときかけっこでビリだったこと。

保育園に入るよりも前、乳製品アレルギーの俺は牛乳は酒と同じで大人にならないと飲めないものだと思っていたが、保育園に入ったら他の子どもたちがみんな牛乳を飲んでいたこと。

俺は自分は誰よりも弱い人間なんだと解釈した。だから自分よりも弱い人間を見つけたら見下す癖がついた。誰に見下されたわけでもないのに。

 

又吉の火花を読んで、自分を模倣して生きているヤツという文に目が留まった。理想の自分をイメージし、それを模倣して生きている人間がいるらしい。それは個性じゃない、模倣だとか言ってた気がする。確かにと思った。俺もそんな生き方をしている気がした。そして模倣しきれないと自己嫌悪をする。

 

ちなみに火花はつまらないからなかなか読み進まない。

今日も何もせず終わった

医者にあなたは明日死にますって言われても、こんな生き方をするつもりなのか。

本当に何もしてないので、愚痴以外の記事を作ることができない。少しはアクティブな記事を書きたいと思う。しかし例のごとく、これも心の底から書きたいと思っているわけではないので、多分実現しない。明日からも俺は何もしないで日々を生きていく。

 

昨日初めてブログの文章を読み返してみたが、思ったより文章がめちゃくちゃでがっかりした。もっと文を書くセンスがあると思っていた。綺麗な文章を書くのは予想以上に難しいことだと知った。

しかし俺は整った文章よりも気楽に自由に書くことを優先したいので、このままでいこうと思う。技術は後からついてくるというし、書いているうちに上達していくことを祈る。

 

・・・・・・もうこの記事自体が面白くないね。

俺の人生みたい。

うんこ

有名人になりたい。

歴史に名を刻む人とはいかないでも、15分くらいは日本中で有名になる人になりたい。犯罪者以外で。

俺みたいなろくでなしほどこういう妄想をしそうだ。

有名人になれたらきっと幸せになれる。当事者じゃないからこんなことが平気で言える。多分本人は大変なんだろうけど。

 

ブログを始めてみるまで、日記をつけることがこんなに楽しいとは思わなかった。

一度ノートに鉛筆で書こうとしたことがあったがすぐに飽きた。ブログだと誰かに見られる可能性があるからだろうか。

 

俺はネットの向こうの見ず知らずの人間と、自分を偽って交流するのが好きな節がある。

たとえば、オンラインゲームで女になりきるのが好きなやつの気持ちは分かる。恥ずかしいことだと思ってるからやったことはないが、それでも何かきっかけがあったらハマっていたかもしれない。流石にこれからハマることはないと思うが。

 

中学のときにPSPのオンラインゲームにハマっていた。ファンタシースターポータブル2というゲームで、見知らぬ人間と文字で会話しながら一緒に遊べる。これを部屋の電気を消して布団の中で寝たふりをしながらやっていた。

ゲームで知り合った人間は学校の友達と同じくらいかそれ以上に好きだった。ゲームのキャラを通じて喋るというのが面白かったんだと思う。身だしなみや声、表情や言動で人の第一印象決まる現実世界と違い、ゲーム中はゲームのキャラクターで相手を見る。レベルとか武器とかキャラアバターなど。これはネットの世界でしか味わえない体験で、一度ハマると病みつきになる楽しさがあった。

 

ネットゲームは子供にとっては別世界へ行ったように思える。今は小学生でもスマホをいじるから、遠くの人と交流するのは当たり前になっているのだろうか。

 

音ゲー

PCの音ゲーを3年ほどやっている。osuというフリーソフト。結構有名だと思う。

3年前と比べると遥かに上手くなったが、3年前より楽しくない。

3年前は今より遥かに下手だったが、今よりゲームが楽しかった。

前はどんな譜面をやっても楽しかったが、今はそれがない。どうすれば楽しくなるのか。

俺は他プレイヤーと比べたら全然上手い方じゃないので、俺より上手いプレイヤーが知っている、もっと楽しいことがあるはずなんだが。

気軽にできるのでつい起動してしまうが、最近はやっていると眠くなってくる。

 

クソな気分になると、現実を見ているという実感が沸く。

本来現実はクソで、それをちゃんと見ていられるんだなと思う。夢に溺れていないんだなと。やはり楽しいことは自分で作らなきゃいけないんだが、めちゃくちゃ面倒くさいからやりたくないし、最近はその方法も分からなくなってきている。はじめから知らないのかもしれない。

 

何でおれはこんなクソみたいなブログを書くのが楽しいんだ。

憂鬱なことばっかり書いて、何がしたいんだ。

楽しいことがしたいと言って、やることはその逆。望むことと反対のことをやりたがる。

家にいるのが楽しいわけでもないのに、外に出ない。働いて金を稼ごうとも思わない。

クソみたいな未来しか見えない。

 

まだ19なのに

音ゲーが全然できない。

腕が落ちている気がする。最近は何も新しい発見や成長がない気がする。上手くいかないことが連続する。

やってて楽しいことが減っている。昔楽しかったこと、半年くらい前まで楽しめていたものが楽しくなくなっている。楽しくないから、興味が薄れ、やる気も沸かず、どんどんできなくなっていく。

 

もうそこに何もないように見えるのは、俺が鈍感で馬鹿だからなのか、それとも、それが俺にまだ発見されていない部分を中々見せてくれないからなのか。後者だったら俺は孤独だ。俺のアプローチが足りないのだろうか。情熱が足りないのだろうか。全力で向き合っていたつもりなんだが。

 

理想が高すぎるんだろうか。現実を見れば、相手はちゃんと俺に向き合い続けてくれてるんだろうか。

そこらへん不器用だ。

 

 

フィクションというのは所詮空想にすぎず、くだらいものと思っていたが、案外そうじゃないかもしれない。不確定の未来を空想する行為を、人間は日常的に行っているからだ。

例えば家の廊下の角を曲がるとき、その先の景色を想像する。

玉ねぎに包丁を入れるときはスパッと切れるのを想像し、肉を切るときはふにゃりと分裂するのを想像する。

友人と遊ぶ予定を決めると、遊んでいる情景を想像する。

これらの想像、予測は当たる確率が非常に高いのでフィクションではないような気がするが、1秒先の未来すら分からないのが現実だ。

小学生が「俺予言できるよ。2秒後に俺は右手をあげます」と言って、右手を上げる動作に入った瞬間にスナイパーライフルで撃たれ腕がちぎれた場合、小学生が右手を上げるという限りなくノンフィクションに近かった物語はフィクションになる。

 

こう考えるとありえないことを空想する行為は全然くだらないものではなく、むしろ人間の原始的な娯楽のひとつだと気づいた。「あったらいいな」を想像する楽しみは誰しもが理解しているはずだ。

子供がスポーツ選手だとか女優だとかに憧れるのはよくあることだ(最近ならYouTuber)。大人になれば自分の両親がやっていた些細なことが本当は大変なことだと知り、距離の近いものに憧れるようになるが、それでも夢を見ていることに変わりはない。

 

誰しもが歌を歌い、一部の人間がそれを極めて歌手になるように、誰しもが空想し、一部の人間がそれを極めて作家になる。

 

 

最初の話に戻るが、俺が焦りすぎていただけかもしれない。背伸びして身の丈に合わない大きな報酬を期待してしまっただけかもしれない。音ゲーを再開しよう。