君の名は。

無職の日記

No.68 再上映

ミルキィの映画で全然心が満たされず、第1期の最終話を観返したら、彼女らはアンリエット・ミステールとともに流れ星になっていた。本編は何度も観返していたが、最終話だけは1度しか観てなかったため割と新鮮味を感じた。こんな話だったか、と。

 

最初に観たのが1年半前くらいだが、そのときは話の意味を全然理解してなかったと思う。2度目の最終話鑑賞で「あれ、ミルキィホームズってこんなカッコいいシーンあったっけ」てなったもん。どこまでも遠くへ行けてしまうミルキィホームズと、正体を偽ってそれを導くアンリエットという図式が、トイズを用いてこんなにもまじまじと描かれていたことに、初めて気づいた。

 

感動しながらネットで検索をかけていたら、流星になるシーンはサイボーグ009のパロディだということを知った。そして009のラストはレイブラッドベリの短編の再現らしい。それでいてミルキィのは元ネタを知ってないと楽しめないやつではないし、こういう風に積み重なって王道が出来ていくんだろう。俺は、流星になると言ったら宮沢賢治小説が思い浮かんだくらいだった。

 

王道は、昔の人と同じことを思っているという安心感みたいなのが好きだ。人類はお前の敵ではなく味方だよ、みたいな。

No.67 「逆襲のミルキィホームズ」を観た

1年前の映画なんだが、存在を知ったのはつい先日のことだった。

逆襲のミルキィホームズ」は、ブシロードのメディアミックスプロジェクト「ミルキィホームズ」シリーズの初の劇場版作品である。

 

ネットの評判によると、俺の好きなアニメシーズン1・2の作風が戻って来たとのこと(アニメは4期まである)。

期待値高めで鑑賞に臨んだ。

 

しかし、途中から「なんか違う」と感じ始め、その感覚は最後まで拭えることなく、映画は終わった。シーズン1・2を模倣しようと必死になって作られた映画だと思った。アニメシリーズで一番人気なのがシーズン1なので、それをもう1回やろうという計画だろう。

 

ネットでは「あのダメダメなミルキィホームズが帰って来た」と喜ばれているようだが、個人的にはまったく別物だった。

今回のミルキィはただふざけていただけに見えた。テレビシリーズの彼女らは、常に真剣だった。大真面目にやってるのに全然思い通りにならなくて、目的と全然違った結末に繋がるのが面白いのに。

 

多分、ミルキィを観る人にはまともな社会人が多くて、俺みたいな引きこもりのダメ人間とは見え方が違うんだと思う。

No.66 五月

気づいたら五月もあと一日。

最近は祖父母のスナックにあるカラオケで、覚えたばかりの女児向けアニメの歌を一人歌いまくっていた。

 

近所に住んでいる小学校中学年くらいの女の子が、親父の叩くドラムを聞きつけてうちに遊びに来たことがあったので、カラオケでアニソンを歌ったら店にも来てくれるかなと思って歌ってみたが、どうやら店の防音設備が思ったよりちゃんとしていて、音は外にほとんど漏れてないらしかった。

アニソンは、歌ってみたら案外楽しかったので、家で歌を覚えて店で歌う日常となった。

 

就活のようなものも一応しているけど、履歴書の書き方が分からない。というか面倒くさい。専門学校のときもそうだったが履歴書作ってる時が一番苦痛だ。

応募理由書なるものの存在をついこの間知って、ますます気が滅入った。

書類選考がある募集には一生受かりそうにない。

No.65 PADS

アニメオタクたちの用語で「PADS(Post Anime Depression Syndrome)」という言葉があるらしい。意味は、大好きなアニメが終わったあとに気分が沈み、うつ状態のようになること。物事に集中できなくなったり、他人のことを気に留めなくなるといった症状があるとのこと。

 

今の俺も、全140話もあるアニメを一気見して、喪失感のようなものを感じているところである。あんなに楽しかった時間が終わってしまい、元の干からびたような日常に、戻ってしまった。

 

こんな気持ちになるって、最初に覚悟しておかなかった俺が悪い。楽しい時間を過ごせば過ごすほど、別れる悲しみも膨らんでいくのは当たり前。悲しみの大きさが、過ぎ去った時間の大切さを物語ってくれるのなら、俺はその悲しみを感謝に変えて、次の道を歩まなくてはならないのだ。

 

でも、ひとつだけ言い訳させてくれよ。こんなに楽しい時間になるって思ってなかったんだよ。最初に予想していた何十倍も楽しかったんだ。想定外のハプニングだ。悲しみを抑えられなくて涙が出たよ。でも仕方ないだろ。

 

まだ気分は完全には晴れない。もう少し気持ちを引きずりそうだ。

でも、もう少しだけ、もう少しだけだよ。ちょっとくらい引きずってもいいだろ。

 

最後に大好きなアニメの、大好きな歌を1曲貼って終わる。ありがとうプリパラ。

youtu.be

No.64 電通

さっき、電通で過労死だか自殺した人のニュースがテレビでやっていた。テレビには彼女の母親が写っていて、死んだ娘のことなどを語っていた。

 

このニュースは、つい昨日女児向けアニメの「プリパラ」を全話見終えた俺にタイムリーなニュースだった。プリパラは、「友情の力」でどんなに遠く離れた人とも繋がっていられるというのに、社会の基盤がしっかり構築された先進国の日本という国では、知り合いがいるにも関わらずたった一人で死ぬ人がいる。むしろ死んだ後の方が世間が盛り上がっているまである。

 

どんなに国が豊かになっても、人ひとりの命はやっぱり脆い。だから互いに支え合わないといけない時が必ずあって、でもそれをするだけで人は幸福になれる。「友達になって」あるいは「友達だよ」と言うだけで幸せになれるのなら安いもんで、何も一人で死ぬことなんかない。もし、すべての生き物が全員友達になれたのなら、それ以外に何もなくても、俺たちは自由になれるんだなぁと思った。

 

プリパラいいアニメだった~。アイドルタイムを見てから無印プリパラを観たんだけど、神アイドルがあんなに大変なものだとは思てなかったからびっくりしたよ。

あと俺はミルキィホームズのアニメが大好きなので、プリパラは感動することもたくさんあったけど、カオスなテンションも楽しめてよかった。

No.63 バーベキュー

BBQをしていたら「うるさい」と言われ、刃物で刺し殺された事件があったらしい。

headlines.yahoo.co.jp

 

これを見てから、自分が死ぬときにはどうすればいいのか考えていた。結論としては、現れた死神に対して「お前が俺を殺そうとして、俺が生き延びれば生き延びるほど、俺の命は輝くんだよ」と言い張るしかないのかもしれない。

でも本音としてはやっぱり、まだまだ死にたくないなと思う。

 

どんなに平和な世界で生きている人間でも、命には時限装置が付けられていて、それがいつか死神になるんだろう。死ぬために生きている人に、俺は会ったことがあるだろうか。少なくとも俺自身は、そんなことを思って生きたことは、多分ない。俺は頭が悪いので、考え事をするだけ時間が無駄になっていく。本能のままに生きることが正しい道へ繋がっていることを祈る。

 

この前、誰も通らないような山道へ散歩しに行ったのだが、道には大量の羽虫の群れや、大きな蜂が飛んでいたりした。ゲームだったら何度もリセットできるので、道に何がいようと恐れる必要はないが、現実ではそうはいかない。死にたくなければ、相手の機嫌を窺って、進むか戻るか決める必要がある。現実はやはり、独りでは生きていられない世界なんだろうなと思った。人でも動物でも植物でも友達は多い方が強い。

No.62 プリパラがすごい

最近、女児向けアニメのプリパラを観てるんだけど、もう19歳になる俺がハラハラした回があったので、紹介する。話数は8話。

 

主人公のらぁらは、プリパラでアイドルをやっていることを、色んな事情があって、親友のなおに打ち明けられないでいた。プリパラへ行くには「プリチケ」というチケットが必要で、なおはらぁらより先にプリチケを入手していたのだが、全生徒に対して行われたプリチケ没収で所持してるのがバレてしまい、プリパラへ行きたくても行けなくなってしまった。

ある日、らぁらがなおからの遊びの誘いを断って、実は自分の元にプリチケが届き、アイドルをやっていることを告げると、なおは自分に内緒でアイドルをやっていたらぁらに腹を立て「大嫌い」と怒鳴ってしまう。らぁらは悲しみに暮れるが、ライブステージでなおへ謝罪を含めたメッセージを語り、彼女への想いを込めて歌う。それを観たなおは、らぁらが自分のことを本当に大切な友達だと想ってくれていると感じ、怒鳴ってしまったのはらぁらのことがただ羨ましかっただけだと気づく。

2人は仲直りし、いつか一緒にプリパラへ行こうと約束をして終了。

 

俺は2人の関係がギスっていくのをマジで心配しながら観てたんだけど、2人とも俺が思っているより強い子たちだった。とくになおは、メインキャラじゃなく登場シーンが少ない分、驚かされた。嫉妬から立ち直れなくなってもおかしくない話の展開だったが、なおはちゃんと自分で立ち上がっていた。この回ではなおが誰よりもかっこよかった。

 

ちなみに、らぁらがなおにプリチケが届いたことを打ち明けられなかった理由とは、打ち明けようとすると完璧なタイミングで校長がプリチケを没収しに来るという、アニメ特有の事情から。「私、実は……」まで言うと必ず校長が飛んでくる。かわいそう。だけど俺は笑って観るしかねえ。

 

プリパラ、ほんとに面白い。完全に童心に返ってアニメ観てる。