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君の名は。

無職の日記

大人

闇から生まれ、いずれ闇へと還るのが命。

命が宿っているというのは異常な状態だが、でも生きることには何の価値もなくて、だから生に価値を見出そうとするのは無謀というか死の恐怖に対する気休めにしかならない。

 

俺たちは死ねば無に戻るわけだが、だから生きてる今のうちにできることはやっとこうと思うのは、愚か者の中でもさらに頭の悪い部類。無になるのだから、集めたものは何一つ持ち帰ることはできない。

 

生きることというのは、触れたものに対して感想を抱くだけのこと。暑い日は「あついなー」だし、飯食ったら「うめー」もしくは「まずい」、怪我をしたら「いてー」。

 

この体験、つまり生の喜びというのは、子供のうちに全種類コンプリート出来てしまうのだ。だから大人の人生は何か物足りなさがある。それ以後にやることとなると、他の人類と交流することと、「どこまで行けるかな」と言って知らない場所へとことこと歩いていくことくらいだが、これによって生の喜びを思い出すことはあっても、新たに感じることはない。

 

大人になるのは、もう死んだも同然だと思う。「生きる喜びを味わう」ために生きることは二度とないだろう。

もっと確実な言い方をすると、幼少期に勝る喜びが再び訪れることは、もうない。

大人になってからすることは、子供の頃に自分が体験したことが一体どんなことなのか、あの時自分の身に何が起こったのかを客観的視点から調べること、ただそれだけ。

 

だから、生きる意味を追い求める必要は、もうないんだ。

まあ、別に惜しくはない。あの頃を懐かしみ焦がれるのはむしろ野暮で、それは自分が生きたことを否定することになるからかもしれない。

 

タイムリープの能力を手にした少女がおかした過ちだ。

猿になる

悩むってのは結局ゴールのない言葉遊びなわけで、たくさん悩んだからって何かが成長することはない。

どれだけ知的に振舞おうとしても所詮は動物、うんこしたり、飯をくちゃくちゃ食ったり、発情したりする。

 

幼い頃は周りの視線など気にせず遊べたが、いつの間にか動物的に活動することに恥じらいを持ち始めていた。

空想の世界では完璧超人になれるからずっと空想世界にトリップしていたが、やっぱり現実世界で生きたいって少しは思う。そのためには自分が汚い動物な事実を受け入れなきゃいけない。

 

猿になりたい。

願わくば、少し賢い猿に。

奇跡

恥ずかしさに脅迫された人間の人生の虚しさたるや。

 

どこへ行こうとしても、ちっぽけな羞恥心に鋭い刃をグサリと突き刺し、お前はここから先へ踏み込むべき人間じゃねえ、と迫る悪魔が付きまとう。

「あそこにいる人間たちを見ろ、あんなに楽しそうに騒いでいる。お前にあれができるか? できないだろう。

自分の顔を鏡で見てみろ。しけた面してやがる。お前の顔は、あいつらとは違う、そんなことはその表情を見比べれば一発で分かるだろう?

そんなつまらなそうな顔で、あそこへ混じっちゃいけねえ。楽園を穢しちゃいけねえ。お前だって、つまらない顔した新入りが入ってきたら憎いだろ?」

 

悪魔は俺が方角を変えて数センチ歩き出そうとすれば、また俺の前に立ちはだかる。

ダイヤモンドパールのなぞのばしょで歩数カウントを間違えた人間の如く、どこへ向いても壁だらけの世界。

 

そんなのは単なる妄想、考えすぎ。馬鹿らしいじゃないか、ただちょっと恥ずかしがり屋なだけだ。大丈夫大丈夫。

そう自分に言い聞かせても、俺は楽園へ踏み入ることはできない。悪魔の言った言葉が脳裏にへばりついている。俺が入ったら、楽園を壊しちゃうんじゃないか? そうしたら俺は悪魔になってしまう。

悪魔になるのは嫌だ。俺は人間だ。人間でいたい。

俺が人間でいるためには、一歩も動いてはいけないんだ。一歩でも動いたら最後、楽園で遊んでいる憧れの人間という生き物には、二度と戻れない。

 

だから奇跡を待つしかない。

天使が舞い降りる日が来るのを。

郵便受け

何か子供的な欲求が満たされていない気がする。

何よりも優先すべき根源的な欲求が小さい頃から放置されていて、それさえ満たすことができれば、俺は趣味の合うやつに話しかけて仲良くなったり、自分でお金を稼いだり、異性に恋愛感情を抱いたりすることができる気がする。

 

今の俺は自分の手の届く範囲にあるものさえ、思い通りに出来ていない。ゲームやってる人たちに混ざって一緒に遊びたいし、お金も稼ぎたい、アニメーターみたいに絵を描いてみたいし、小説も書きたい。これらはすべて、最初は上手にはこなせなくても、やりたいと思えばいつでもできること。

なのに、準備を整えていつでもできる状態にすると、急にやりたくなくなる。いつでもできるんだから今はやらなくていいか、となる。

なぜだ、やりたいんじゃないのか、本当はやりたいのかやりたくないのかどっちなんだ。

やりたいけど、それは失敗をしないという保証があるならやりたいだけで、今すぐ上手にできないならやりたくないという心理状態なのか。

 

謎。親の脛かじって生きてる無職の、こんなゴミみたいな悩みは、贅沢な悩みと言えるでしょうか。

ゴミの名は

自分のことを心から愛せない人というのは大体2人に1人くらいの確立でいて、そういう人が子育てをすると、子供が自分と同じことをしたときにその行動に大嫌いな自分を見出し、怒りを覚え、関係に傷を作ってしまう。

 

だから俺は何かの間違いで自分の子供が出来てしまったら、大パニックになってその命をなかったことにすると思う。それを防ぐためにも、俺は自分を心から愛さないといけない。

 

これだけの理屈を並べても俺は自分を愛せないんですよ。

多分俺の生まれた家は一見穏やかな普通の家庭に見えて実はバイオハザード7ばりの狂った家族だったんだろう。

簡単に隠蔽可能な無法地帯になり得るのが、家庭。

家族はクソだ。

はてな

自分のために生きることほど幸せなことはないはずなのに、本当にこれでいいんだろうかと思うことはよくある。

他人にそれを求める人もいる。私の代わりに幸せになってくれ、そしてそれを私に見せてくれと。

 

それは金を貰って仕事をするよりも、金を払って他人に責任を負わせる方が楽なのと同じ原理だ。だがそれをやりすぎると自分の存在価値がなくなっていく。やっぱり自分のために生きるのが一番幸せなのだ。もしかしたらそうでない人もいるかもしれないけど。

 

どんな生き方をしている人間であれ、「約束の地」みたいなどこかへたどり着こうとして歩いている。その切っても切り離せない腐れ縁の希望を疑うことは多々あれど、その心が本当にぶっ壊れている人間は多分めったにいない。

 

いたら会ってみたい。面と向かうと碌なことないだろうから、双眼鏡持って遠くから観察するけど。

 

ノーアイディア

本当に、何のアイディアも浮かばない。

人生は俺の庭だ。俺は自由で何でもできる。

だがやりたいことがなければ、自由であることに意味はないし、むしろ孤独なだけ。

かといって、不自由になりたくもない。

今まで仕事といえばバイトしかしたことないが、お金がもらえるといってもバイト中は地獄だった。金で買えるほしいものもないし、俺の欲しいものは人生を有効活用するひらめきだけ。

俺ができるたった一つの冴えたやり方は何なのか。